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こんにちは!
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かたちのはじめ
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# by sugaruyanikki | 2009-01-24 21:12
おめでとう犬
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☆ポイント・・・敬礼をしているが、額まで手が届かない、でも頑張ってる。
        手の平の肉球
        帽子
        肩章 
        お洋服の感じ
        
# by sugaruyanikki | 2009-01-21 21:12
陶遊 107号
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 家人の作品が、陶芸の雑誌「陶遊」11月号干支特集に掲載されているのだ。残念ながら、干支に猫はない。少しさびしい。何でも悪どいねずみのせいらしい。でもそんなお話にしたら、ねずみ年の人が可愛そうな気がする。だから、ねずみ年はなしにして猫年にするのだ。そして吾輩をモデルにして猫年の干支を作ってほしいのだ。古代エジプトの猫の彫像なんかを参考にしてはどうだろう。あの姿はなかなかいかすと思うのだ。しかし、吾輩がもし古代エジプトに生まれていたら、もっと大切にされたのだろうな。否、吾輩は自由を愛する気高い猫なのだ。人に可愛がられることなど望まないのだ。
陶遊 107号_c0189859_10483835.jpg

# by sugaruyanikki | 2009-01-18 10:09
黒毛和牛
 今回は「黒毛和牛」なのだそうだ。「練り込み」という技法を使って作った陶器のフィギュアみたいなものである。来年は丑年なので牛ということらしい。他の人の作品を見ると、家畜をモチーフにした可愛らしいものが多い。しかし家人にとって、それは感覚的にきっと違うのである。吾輩もそこは大いに賛同するところである。命は本来、気高く自由なものなのだ。家人の「黒毛和牛」はシンプルな造形に力強さが秘められた野生の水牛を思わせ、媚びたところが無い。そこが吾輩の魂にシンクロする。ただ、人間の偶像崇拝といおうか、何でも手元に置きたがるのはどうかと思う。まあ、そこが人間の可愛いところでもあるのだが。
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# by sugaruyanikki | 2008-12-28 20:44
展覧会
 吾輩がコノ家にはじめてきたとき、家の中はこのような白いモノでいっぱいであった。大きくてひんやりしていて、あるときは優しく、あるときは冷たくこちらを見やり、またあるときは彼方をじっと見つめているのであった。一つ一つが動き出しそうであり、またいつまでもこのままでありそうであり、一瞬と永遠とを感じずにはいられない。家人の一人は「わからない。」と言っていたが、何でも理解できないと気がすまない阿呆者だ。
 家人が吾輩そっちのけでこの白いモノにつきっきりであったので、吾輩も一緒に見つめあったり、外を見たり、それはそれは可愛がった。あるとき、いつもと同じように寄り添ったり、上になったりして楽しんでいると、彼が倒れた。彼はいくつもの破片となって、辺りに散った。力が強すぎたのか、重すぎたのか、吾輩は自分でも気づかぬうちに成長していた。いつまでも続くと思っていた時間は長く続かなかった。変わることが無いと思っていた関係は、実は一定のものでさえ無かった。家人は悲しみ、彼を元通りにしようとしたが、かなわなかった。元通りになろうとしている彼は痛々しく、吾輩の胸も痛んだ。家人があきらめたとき、彼もあきらめた。安らかな眼差しは以前の彼と変わらなかった。家人は吾輩を、そして自分自身を非難した。因果応報という言葉がこの場合当てはまるのだろうか?残った白いモノたちは黙したまま、彼と同じ眼差しで、彼方を見、そしてこちらを見つめていた。
  

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# by sugaruyanikki | 2008-07-10 22:44